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【まとめ記事】アグレミーナ浜松 退団選手たちのその後について(2012~2016年退団選手)

2019/1/17作成・2022/9/24更新
記事を2012~2016と2017~2021のふたつに分けました。

出会いあれば別れあり。

この記事ではアグレミーナ浜松を退団した選手たちのその後の動向について2012〜2016シーズンの5年間分をまとめています。

アグレミーナ浜松がFリーグに参入して10年間、チームに長く在籍した選手もいましたし、そうでない選手もいました。多くの試合に出て活躍した選手もいましたし、そうでない選手もいました。

このクラブに所属し、戦ってくれたすべての選手たちの今後の人生に幸多きことを祈り、感謝と敬愛を込めてこの記事を綴ります。

もしも情報が古かったり、間違っているところがありましたらコメント欄やツイッターお問い合わせフォームからご連絡ください。選手ご本人からの報告も大歓迎ですよ(笑)


2017年~2021年に退団した選手たちについてはこちら。

アグレミーナ浜松のこれまでの試合戦績と観戦記のまとめはこちらをどうぞ。


アグレミーナ浜松 退団選手たちのその後について(2012~2016年退団選手)



2016/17シーズン退団選手

No.4 三井 健


どうもピヴォの選手が定着しにくいイメージがあるアグレミーナにおいて三井健は最も結果を出したピヴォの1人だったが、惜しまれながら1シーズンで退団。2017シーズンは古巣の府中AFCに戻ったがシーズン序盤のしかも浜松戦で前十字靭帯を損傷する大怪我を負うと、翌年には府中からファイルフォックス八王子に移籍。

ファイルフォックス八王子で選手兼コーチを務めた三井健
ファイルでは3シーズンを過ごし、2020年にはサテライトの選手兼コーチを務めた。2021シーズンからはBANFF TOKYOにプレーの場を移しており、府中市で自身が代表を務めるパーソナルジム「MITSUI SPORTS PERSONAL GYM」を運営している。


No.11 曽根田 盛将


選手引退後、剣持と同じくアグレミーナのアカデミーコーチ、サテライトプレイングコーチをしていたが、その後完全に退団。静岡県1部リーグ‬MATO GROSSOでプレーしている。

アグレミーナのアカデミーコーチを退職後は浜松アリーナ隣のLUZ SHOPでスタッフとして働いていたが、2021年春からはLUZも退職して静岡市で Caminho Futsal School というフットサルスクールを夫婦で立ち上げている。2021シーズンにはアグレミーナ浜松ホームゲームでゲスト解説としてマイクを握った。


No.19 山蔦 一弘


浜松を退団後、バサジィ大分に移籍。その人柄から多くの選手に慕われ、惜しまれながら2017シーズンに引退。終盤は選手兼コーチのような振る舞いをしていたので指導者としてクラブに残るかと思われたが、現在は愛知県でサッカーのスクールコーチをしているようだ。


No.25 大野 克


アグレミーナを退団後は一度地元の福井県に戻り丸岡RUCKのGKコーチなども務めていたが、F2リーグ・ヴィンセドール白山に入団して再びFの舞台に挑戦。白山では2018〜2021の4年間プレーし、退団時に一度は現役引退を表明した。2022年からは北信越リーグ2部に所属する地元福井のチーム、パトリアーレSABAEディーゼルに所属している。


2015/16シーズン退団選手

No.2 山中クリスチアノ

怪我のために公式戦でプレーすることなく退団してしまったが、選手兼コーチとして彼が始めたいくつかの習慣はいまもチームに根付いている。現在は愛知県でmundo da bolaという少年サッカーと社会人ソサイチチームを持つサッカースクールの代表をしているようだ。


No.10 剣持 貴充


選手引退後はアグレミーナのフットサルアカデミーコーチならびにサテライトチームのプレイングコーチを務めていたが、現在は神奈川県相模原市のフットサルコートでスクールコーチをしている。


No.12 石野 潤


田原FCからアグレミーナ浜松となってFリーグに参入するときも、一度は選手ではなく社会人としてキャリアを積むことを選んだ石野。Fリーガーを引退した現在も会社勤めをしながら社会人フットサルを続けている。東海1部・DELIZIA磐田に3年間所属した後、2019年からは東海2部・BIG HIPに加入。

アグレミーナ浜松のMyCujoo配信で実況&解説を務めた石野潤選手と保田健二朗コーチ
新型コロナウィルス感染拡大の影響で無観客試合や入場制限試合が続いた2020年は、浜松のホームゲームのLive配信でゲスト解説やMCとして活躍している。


No.14 蓮池 紳吾


アグレミーナを退団後は、声がかかればLUZ ‪SELEÇÃO‬ CUPなどのワンデイ大会に出ることはあるが、基本的には「一度トップレベルでやる楽しさを知ったらそれ以外ではプレーしない」というスタンスで競技フットサルからは引退していた。2019シーズンには前言を撤回しDELIZIA磐田で現役復帰を果たすものの、仕事・家庭との両立が難しく同年10月には退団している。


No.22 田中 充彦


選手時代からコーチを務めていたマリオフットサルスクールで子供たちを指導。未来のFリーガーを育成している。


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2014/15シーズン退団選手

監督 カルロス・セサル


待望されたアグレミーナ初の外国人監督となったセサル(セザル)監督。実は2014年の正式就任前、2012シーズンの全日本選手権時にも浜松を指導していた。その手腕に大きな期待が寄せられたが家族の事情でスペインに緊急帰国すると、そのまま契約解消となってしまい就任期間は2ヶ月程度で終わってしまう。保田、セサルと1年のうちに2度も監督を失った浜松は日本代表候補を2人擁しながらまったく勝てない暗いシーズンを送ることとなってしまった。

スペインに戻ったセサルは2016年からカタールのAl-Rayyan SC(アルラヤンSC)というチームの監督を務めており、カタールリーグチャンピオンとしてAFCフットサルクラブ選手権にも出場。2019年にはタイの強豪・チョンブリーブルウェーブの監督に就任し、AFCクラブ選手権などで日本勢とも対戦する機会がありそうだ。


監督代行 前田 健一


浜松はFリーグ参入初年度から外国人監督の招聘を計画していたが、2012年は結局叶わなかった。新監督が決まるまでの暫定という形で始まったものの結局その1年間指揮を摂り続けたのが、向島選手と同じくクラブ創立メンバーの1人である前田健一氏である。監督代行の任を降りてからもコーチ兼スタッフとしてクラブに残っていたが、2014シーズンに向島とともに退団。以後はアグレミーナの前身である田原スポーツクラブでフットサル指導をしていたが、現在はジュビロ磐田サッカースクールでスタッフをしている。


No.1 川原 永光


長い間「日本の守護神」であり続けた川原の有終の美を飾ってやれなかったことは、アグレミーナ浜松というクラブの犯したもっとも大きな"罪"のひとつだろう。華やかな引退試合はおろか、まともな退団発表もないままにJFAの移籍リストにひっそりと掲載され、8か月後にひっそりと削除された彼のその後を知る者は少ない。

その後岩本昌樹氏のブログに何度か登場し、今は高知県で子供たちを指導しているらしいことがわかっていた。2022年には高知県女子フットサル選抜の監督としてトリムカップに出場し、競技フットサルの表舞台に指導者として帰ってきてている。写真はトリムカップ後、グリーンアリーナ神戸に選抜メンバーと女子Fリーグを観戦に来たときのもの。


No.5 笠井 健太


アグレミーナを退団後はデウソン神戸に移籍、しかしレギュラーの座を掴むことはできず2015/16シーズンに選手引退。フットボールからは完全に離れていまは横浜で仕事をしているらしい。町田で行われた浜松×神戸の古巣同士の対決には観戦に訪れていた。


No.7 江藤 正博

CANCANBOYSで選手兼監督を務める江藤正博選手(元アグレミーナ浜松)
アグレミーナを退団後、しばらくしてから赤窄と同じくカルチョファンタスティコのサポートを受けてイタリア・セリエBのフットサルリーグでプレー。日本帰国後は2017年から古巣のCANCANBOYS(カンカンボーイズ)に選手兼監督として復帰し、いまは兵庫県選抜の監督や女子Fリーグ・福井丸岡RUCKのゲストコーチも務めるなど、指導者としてのキャリアを積んでいる。


No.13 三輪 修也

浜松退団後は東海1部リーグ・ROBOGATOに移籍。2年で選手は引退したがその後も同クラブの監督を務めた。一時期はROBOGATOに加えて、東海女子リーグ所属のBeppと、男女愛知県選抜監督も務めるなど多忙を極めたが、2019シーズンでROBOGATOの監督は退任。Beppの監督は2020シーズンも続けているが、男女選抜チームについてはコロナ禍で活動自体が制限され継続については不明。

また、三輪修也氏は名古屋市名東区にあるフットサルショップ「QuaSP Thi§tage/クアスプディステージ」の店長でもある。訪問の際にはドSイケメンにほだされて高額出費をしてしまわないように要注意(笑)


No.17 松浦 公亮


アグレミーナを退団後一度は古巣の東海1部リーグ・XEBRAに復帰したが、翌年からは同じ東海1部のDELIZIA磐田にで2019シーズンまでプレーしていた。2020年からは大和撫子/藤枝市場に移籍。


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2013/14シーズン退団選手

監督 小野 直樹


小野直樹氏は浜松が初めて外部から招集した監督である。アグレミーナ浜松サテライトの前身ともなった「アグレミーナU-21」を立ち上げるなど長期ビジョンでの強化プランを掲げていたが、成績不振を理由に2013シーズン途中に事実上の解任。その後は以前より監督を務めていたシュートアニージャ、そして2015年からはさいたまSAICOLOと、女子フットサルに活躍の場を移していく。特にサイコロではクラブの法人化や日本女子フットサルリーグの参入にも大きく尽力したが2018シーズンに退任。

サイコロの監督退任後1年はGMとして運営面でサイコロを支えていたが、2020年よりセミプロ制度を導入した古巣シュートアニージャに復帰。女子Fリーグ勢が卒業して新時代を迎えた関東女子フットサルリーグで優勝を果たしている。


No.1 山本 浩正


アグレミーナ浜松に在籍した選手の中でも抜群の知名度を持つ“もっさん”こと元ジュビロ磐田の山本浩正は選手を引退後、サッカー指導者に転身。まずは元清水エスパルス・澤登氏が監督の常葉大学サッカー部のGKコーチを務めると、2020年には清水東高校時代同期の高原直泰氏が代表を務める沖縄SVの監督に就任。沖縄SVでは途中からGKコーチとなるが2021年末に退団すると、その後の動向はわかっていない。


No.2 向島 佑介


アグレミーナ創立メンバーのひとりである向島は選手引退後クラブスタッフとしてチームを支えたが2014シーズン半ばに完全退団。現在は静岡県リーグ1部のLadroaで現役復帰している。


No.3 中島 涼太

身体を投げ出すアツいプレーが信条の涼太選手だったが、その代償として2013シーズンのほとんどを怪我の手術とリハビリに費やすことになった。浜松退団後にヴォスクオーレ仙台へ移籍。開幕後はしばらく試合にも出ていたがまたも腰を痛めてしまい、一時は歩けないほどの状態が続いていた。残念ながら、結局仙台でも選手としてはほとんどプレーできないまま競技を引退。

その後2年間、仙台のサテライトチーム監督を務めた後に2019シーズンはF2リーグ・ヴィンセドール白山の監督に就任。相変わらずのアツさでチームを鼓舞し続けたが、成績は振るわず1年で退任。2021年はサッカー・高知ユナイテッドのレディースチームの指導に携わっている。


No.12 内野 脩麻


浜松退団後は東海1部リーグDELIZIA磐田に入団、短期間で存在感を示すと大学卒業と同時にヴォスクオーレ仙台へ。ホセ監督に資質を見出されるとレギュラーに定着し始め2016年後半頃からは中心選手といって差し支えない活躍を見せた。

全日本フットサル選手権優勝トロフィーを掲げる中村友亮選手と内野脩麻選手
しかし仙台は2020年に経営難でF2へ降格となり、さらにはリーグ参戦そのものを断念。多くの選手たちが他チームへ移籍し、内野もまたトルエーラ柏へと活躍の場を移している。その年の柏はF2リーグを全勝すると、更にF2チームとして史上初の全日本選手権優勝を達成。内野も準決勝、決勝でゴールを挙げ日本一獲得に貢献した。

充実しているかに見えたトルエーラでの選手生活だったが、翌年に東京都品川区にホームタウンを移しチーム名もしながわシティに改めることが影響したのかクラブにはF1ライセンスが交付されず翌年もF2リーグに所属することになる。更に内野自身は新チームでの出場機会を掴めず、関東2部の栃木シティへレンタル移籍に出されることに。そのレンタル先でもコロナの影響で公式戦が行えない状況が続くことにモチベーションを失い、9月には岩﨑と同じFC NAKAIへと電撃加入を発表した。


No.17 山野 達也


アグレミーナを退団後はヴォスクオーレ仙台サテライトに移籍し、東北リーグを優勝し地域チャンピオンズリーグ、そして全日本選手権本大会とふたつの全国大会にも出場。その後古巣のペスカドーラ町田アスピランチに戻ると、選手引退後はクラブスタッフとして働いている。

2019シーズンはペスカドーラ町田のバイラリーナス(女子チーム)ならびに各アンダー世代チームのコーチを務め、指導者としての道も歩み始めているようだ。


No.18 中島 千博


浜松を退団後は兄・中島涼太とともにFリーグへ新規加入したヴォスクオーレ仙台へと移籍。サテライト&トップチームで5年間プレーした後はサテライトチームのコーチとして監督の兄を支えながら自らもU-18チームを指導。2019年からは新設されたヴォスクオーレ仙台石巻フットボールクラブでジュニア年代を指導していた。


※画像提供 @minha.vuckoさん
しかし2020シーズン、ヴォスクオーレ仙台は財政悪化によってFリーグライセンスを更新できずリーグから一時離脱することに。所属選手の大半がほかのFクラブへ移籍し活動維持が困難となったチームを救うために選手として現役復帰。


※画像提供 @minha.vuckoさん
2021シーズンに仙台は東北リーグを優勝、全日本フットサル選手権でも全国大会に勝ち進んだ上にFリーグライセンス再交付を受けてリーグ復帰を果たした。それを見届けた中島千博選手は同年に改めて現役引退を表明。今後もクラブの運営や育成に関わっていくようだ。


No.19 大石 綾


アグレミーナを退団後は古巣のEmerson FC(東海2部リーグ)に復帰。いまもエマーソンで現役を続けている。全日本選手権静岡県大会ではアグレミーナ浜松サテライトのライバルとして立ちはだかった。


No.20 赤窄 孝


アグレミーナを退団後しばらくしてから、イタリアセリエA2・コジャンコと契約し海外挑戦。チーム都合によりイタリアでのプレーは1年半で終わってしまったが、日本に帰国後は指導者に転身。いまは名古屋オーシャンズでGKコーチを務めている。


No.21 石原 健太


アグレミーナを退団後は東海1部リーグDELIZIA磐田に入団、またフットサルだけでなくビーチサッカーのGKにも挑戦した。現在は静岡県を離れ、Dele Yaone岐阜/AGM(東海1部リーグ)に所属している。デレヤオーネは2021年の第26回全日本フットサル選手権に東海代表として出場すると、デウソン神戸、ヴィンセドール白山のF2勢を次々と撃破。4回戦でもF1リーグの立川府中を相手に前半まで3-2でリードする健闘を見せたが、惜しくも4-6で敗れた。


2012/13シーズン退団選手

No.8 高山 拡

アグレミーナを退団後は指導者に転身。高校や大学のサッカー部コーチを経て現在はセレッソ大阪スポーツクラブで子供たちを指導しているようだ。


No.10 オマー・ニージャーリ


2013年1月から姿を消し、退団発表のないままだったがオランダに帰国しAORC/LEVOというチームでプレー。2013年にはオランダ代表にも再選出されている。翌年にベルギーリーグに移籍したことまでは確認しているがその後の消息は不明。


No.11 畠山ディビットケイチ


アグレミーナを退団後は東海1部リーグmember of the gangに入団、三重県選抜などにも選出された。2019年現在はブラジルに戻り生活しているようで、少なくとも日本の競技フットサルからは姿を消している。


N0.12 金城レアンドロ

アグレミーナ在籍中に車上荒らしの容疑で逮捕。にもかかわらず結局シーズンが終わるまでリーグ登録選手一覧には名前が残り続けたが、翌シーズン開幕時の登録選手一覧には当然その名前はなかった。有罪が確定したのかどうかも含めて、その後の消息は不明。


No.14 林 幸登

アグレミーナを退団後は東海1部リーグDELIZIA磐田に入団。のちに関西の強豪SWHフットサルクラブへ移籍したが、現在は競技フットサルを引退している。


No.17 高橋 亮祐


アグレミーナを退団後は東海1部リーグ大和撫子に練習生として参加、その後イタリア・セリエA2レッジアーナへ海外挑戦。帰国後は指導者の道に転身しながら、自身もビーチサッカー選手に転向してプレーを続けている。2021シーズン、トリコアレイアから日本代表を多く擁する強豪・ヴィアティン三重に移籍した。


No.18 柄澤 将太


アグレミーナを退団後は東海1部リーグDELIZIA磐田に入団、しかし数年プレーした後は仕事の都合でしばらく競技フットサルからは遠ざかっていた。2018シーズンにサテライトの増井英汰郎や杉山大吾も所属する東海2部リーグ XEBRAで現役復帰すると開幕から第5節まで連続出場したが、2019シーズンは再び仕事の都合で一時休部している。写真は浜松ホームゲーム前座試合出場時のもの。



いかがでしたか?
あなたの推しメンは元気そうでしたか?

この記事を書いていて、自分のなかで改めて様々な思い出が蘇ってきました。

選手たちにとってアグレミーナ浜松で過ごした時間は、勝てなくて悔しい辛いことの方が多かったかもしれません。だけどそれでも、ふと思い返した時にこのクラブで戦ったことが、彼らのフットボール人生の中で良い思い出として刻まれていたら嬉しいなと思います。ぼくにとってもそうであるように。


2017年~2021年に退団した選手たちについてはこちら。

アグレミーナ浜松のこれまでの試合戦績と観戦記のまとめはこちらをどうぞ。


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